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プロフィールprofile

ごあいさつ 含富里山光明寺は染川の近く、富士谷にある真言宗智山派のお寺です。 当寺は,親しみ易く開かれた寺を目指しています。当寺の歴史は古く、約800余年の法灯を受け継いでおります。東に鹿野山を見て、西に上総富士をみるR127の傍に建立より門を構えております。
 最も盛んな時期は、江戸の時代小藩なれど結構有名な藩主が出た佐貫藩の城下町に近く、結構豊かな藩であり、近くの神社の別当寺としての地位もあった。
                                     第37世住職


光明寺由緒

当寺は鶴岡字含富里(がんぶり)にあり、含富里山福蔵院と号する真言宗の寺で、建治2年(1276)、僧頼秀(らいしゅう)の創建と伝えられているが、堂塔はたびたび火災にあってきた。現在の本堂は第36世住職松本實圓氏の努力と役員の方々の尽力により昭和46年に再建察れたものである。
 また、境内の左側に釈迦堂が立っている。この堂は、元々北側の山上に建立されてあり、八角堂であった。現在の堂宇は以前の堂が崩れかかっていたので再建されたものである。
 堂内には釈迦三尊像が安置されており、脇には元禄4年に釈迦三尊並びに釈迦堂修復に関する記録を記した額も安置されている。富津市より文化財に指定されている。
 この釈迦堂(八角堂の時代)には逸話がございます。綱吉公のお側用人柳沢吉保(この時佐貫藩城主)の奥様が目の病にかかり、なかなか平癒しないので、この釈迦如来に眼病平癒の願をかけ日参したところ、数か月後に眼病がなおり、無事視力を取り戻したということでした。釈迦堂修復はそのお礼だと記されております。

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光明寺

〒293-0054
千葉県富津市鶴岡1050番地

TEL 0439-67-2257(円正寺内)
pcメールアドレスshunshou17@gmail.com

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